2018
03.23

陰鬱な雲がたれこめる墓地なのであります。
真冬のよーな彼岸。

いくつかのお寺を回り終えた時、
「ちょっと…」
老母が、キッタンさんのお墓を探してけねべか」
と言い出しました。

キッタンとは吉旦叔父のこと。
自殺してから、すでに40年以上の歳月が過ぎております。

叔母と結婚後、一年後に発狂し、精神病院に入院し、その後、退院したまでは良かったのでありますが、すでに叔母に離婚されていたのであります。
無人の我が家でガス管をくわえて死んだのでありました。

十傳スクールでたびたび叔父のことは語っております。

いろいろと不祥事の多いオノ家の話題の中でもベスト3にはいる椿事でございます。

叔母も精神を狂わしたのでありましたが、狂っているはずの、その一方で、叔父の貯金をすべて移したということを、後日、耳にしまして、お女性の物凄さを知ったのでございます。

墓を探せと言われても、それは墓所から探さねばならぬのであります。

夏の日に、いちどだけ墓参りしたことがあり、手掛かりはソレだけでありました。

40年の間に、モリオカはずいぶん変わりました。私メの記憶もあいまいなのでございます。

あの夏、ちょうど、墓参りが終わった時、叔父の親戚が墓参りしにきたのとぶつかりまして、逃げるよーに立ち去ったので、ますます墓所の在処が曖昧なのでありました。

が、「ここらあたりだったよーな」
という通りを走っておりましたら、前の車が右折のウィンカーを出したのであります。
「あのあとを行くべ」
と、こちらも右折。

すると、どーでしょう。
忽然と墓地が広がっていたのであります。

しかも、無数の墓石が群れのあるなかで、偶然に向かったところに、その墓を発見したのでありました。
墓標には、昭和50年11月5日と、叔父の名が刻まれておりました。
姿なき手招きなのでありましょーか。

花を手向ける人もない墓石にたたずんでいたら、老母の母、つまり祖母の声がよみがえりました。
叔母の結婚が決まったあとで、祖母が突然、オノ家を訪ねて来たのであります。
そして頼みもしないことを告げたのでございます。
「この縁談は凶だからなはん。とるものもとりあえず、それを教えに来ました」

オノ家一同はカンカン。

しかし、結婚後、まもなく叔父の奇行が始まったのでした。

周囲をすべて不幸に巻き込んでの結婚でありました。

その不幸も40年という歳月が延べ慣らしてくれたのかもしれませぬ。
帰り道、西の山から陽が差し始めたのでございます。