2018
03.24

モリオカのユニバースというスーパーで、仲睦まじくカップラーメンをセレクトしている老夫婦がおりました。

その後ろを通り過ぎて、
「!」
思わず振り返りました。

「Y君ではないか!」
そう、たしかにY君であります。
白髪で腹はいささか出ておりましたが、学生時代にさかんに酒を飲み、暴言を吐きあったY君なのであります。
京都から東京まで2トントラックで引っ越しを手伝ってくれたY君。彼がモリオカに引っ込む時も、やはり二人でトラックを交代して運転したY君。

彼が就職で経済連に面接に行った時も、車で送ってやったのであります。

そのY君と目が合いましたが、
「なにか御用ですか」
みたいに一瞬、怪訝そうな表情をしましたが、ふたたびラーメン選びに専念したのでありました。

キチンとした身なりでしたし、なんとなく堂々としていましたから、ホッといたしました。
「しやわせな晩年のよーだね」

パーキングに戻り、車を始動させると、Y君夫婦が、ちょうどスーパーから出でまいりました。
フロントガラス越しに見送りました。

とーーー。
奥さんがチラリと振り返りましたです。

一秒にも満たない視線の交錯がございました。
瞬時でしたけれど、40年間を越えた接着がございました。こなごなに砕けたガラスの破片が逆回転で接着しました。

……接着。
粘着性のある、はがれたがらなかった唇。

誰も知らない秘密でありました。
肉厚の唇が憶えていたのかもしれませぬ。

電気毛布に包まれているよーな、あらゆる怒気が安らかになる唇。
不経済な唇、と笑っていた唇。

いつの秋の夜だったでしょうか。
氷雨のよーな別れの言葉が、とけかかったソフトクリームみたいな唇からこぼれるとは。
「これっきりよ。街角で出逢っても、声をかけねんでね。結婚するから」
加賀野のアパートのドアの内側から鍵をかける音がよみがえりましたです。

いま、振り向くときまで、奥さんの存在が、頭から消し飛んでいたことが奇妙でなりませぬ。

ラーメンを選んでいたY君しか私メの目に入っておらず、奥さんが隣にいるというくらいしか意識していなかったのであります。

二人の結婚披露宴の招待客としてまねかれた時、私メは奥さんを無視し続けていたのでありました。
Y君の花嫁さんが、まさか彼女だとは思いもよらなかったのでありました。問題のある女なんだよと、Y君から聞かされておりましたが。

「何してるえん」
老母の声に、車を動かしました。
ハンドルを握る指。

この指は知っています。

たぶん、あなたの唇が知っていたよーに。

 

そうおもっていたいだけ。