03.17
仕事をひと段落つけて、キッチンで深夜のロックは格別なのでございます。
「燃え尽きたな…」
と照明を落とした薄暗い空間で、90分ほどのしやわせでございましたのに。
ツマミなどございません。
たただひたすら氷が解けるまで注ぎ足していくのでございました。
タバコもまっかまっかと吸い続けるのでありました。
「しやわせ」と書きましたが、それが本当のしやわせかどーかは分かりません。
物事はつきつめない方が良い場合もございます。
酔っぱらうことが満足か。
体に悪い事がどうしてしやわせなのだ。
だれが喜ぶのだ。
だいたいにして、それほどウィスキーが好きとは見えないぞ。
などと、しやわせの骨組みを解いていくと、しやわせは幻のよーに消えてしまうからであります。
楽しいこと、面白いことも同様であります。
また逆に不幸も同じ。
以前、蜂についてUPしたことがございます。
蜂は不幸せの臭いにつられて刺しに来るという意味のことを。
欲しいものを手に入れられない不幸と、欲しいものを手に入れた不幸。
どうしても手に入れたいお女性を、何十年も追想する、もどかしい、後の祭りの気持ち。
はんたいに、手に入れた、そのお女性を、粗末に扱ってしまっていると自覚する気持ち。
肉体的なしやわせは儚いことかもしれませんです。
やがて食糧難の時代が到来したとき、もしかすると肉体から意識だけを抜く発明があるかもしれません。
意識なら食い物も不要。核戦争にも関係ございません。かわりに快楽も存在しなくなることでありましょう。
即身仏やミイラなど古来、その試みが良い伝えに残されております。
でも、やはり意識だけの世界が到来しても、意識上格とか、意識下格などして、ランク付けするのがオチでございましょう。
就寝前の、深酒をしやわせの究極だと、うわっつらで認識することこそ、しやわせを留め置く方法かもしれませんですね。