2022
01.22

ふと思い立ち、25年前に、最初の事務所のあった街を訪れました。
すべてが変わっておりました。
記憶を喪失した者のごとく、街をさまよいました。
まず駅が地下に移ったせいで、目印となる遮断機がなくなって、フラットなスポットとなったために、右に行けばいいのか、それとも逆なのか、そこから迷ってしまうのでございました。

記憶に残る当時の街並みと、現在の街並みがまったく重なり合わないのであります。
たまに、「あっココ知っている」と脳みその芯がスパークされる場所に立ち至っても、そのあとが続かないのでございます。

やっと原稿で食っていける自信がつきはじめた頃で、何日も寝泊まりしてPCにしがみついていたものでした。
飲み屋の女の子たちが、「これから遊びにいっていい?」と、午前二時過ぎに泥酔して電話がかかって来たこともたびたびでした。
腹を空かせているだろうと彼女たちのためにお握りを用意したものでした。
それら女の子が眠りに崩れ落ちた寝姿を横目に、恋運暦だの結婚と恋の運命などという雑誌の原稿や、「小さな夢を大切に育てる50のレッスン」だったかの執筆をしていたのでした。
彼女たちは25年経過したいま、どーしているのやら。

食事は、ちかくに天狗という店名だったか、すっかり忘れましたが、大きな提灯を店先にさげた小料理屋があり、そこで摂っていたのでありました。名残すらございませんでした。

そーいえば事務所にしていたマンションの、ほとんど向かいのマンションから可愛かずみが飛び降り自殺をしたときのことも、激烈な記憶の一つなのに、実感としては思い出されないのでございます。

足をのばし、とうじの散歩コースをたどろうとしましたが、その散歩コースがどこからはじまる道なのか糸口もつかめないのでありましたが、偶然のように、開発されていない一画に出ました。
脳みそが、ふたたびスパーク。

が、靄の中に埋没していくばかり。

事務所には二年ほどいたでしょーか。監修していたギャンブル大帝が、休刊となり、収入が減ったことをきっかけに閉めたのでした。

記憶をあきらめて木村満夫に変身し、はじめての街をぶらつく旅人になることにいたしましたです。
新宿区、渋谷区、目黒区、世田谷区の区境が入り混じった、その街は、旅人の目で見ると、清らかな気に包まれていることに気づきました。

そして洒落た南仏風の建物が並ぶ、いっかくに立ち入ったとき、
「カレーの臭いがする…!」
犬のよーに、臭いのする方へと、臭いを嗅ぎわけながら、臭いに引きずられていったのでございます。

白い店の中で、インド人のカレーの店でありました。

本日は、カレー解禁日だったことを朝刊メールで出していたこともあり、
「よーし」
チキンカレーを注文したのでございます。

店内は立ち食いでした。
が、歩きすぎて、脚が棒のように疲れておりましたので、テイクアウトにして、外のテーブルで時間をかけて胃袋に納めたのでありました。

 

 

2022
01.21

陰と陽というべきでしょーが、「光と影」と表記するとムードが違いますですね。

当たりとハズレでもイイのでしょーが。

占いは、この二次元で判断することが究極なのでしょーが、そればかりでは味気がありません。
「あなたは死ぬ」
ぜったいにハズレない断言ですが、
「ではいつ…」
が問題になり、すると陰と陽に時間がからみつき、そこに三次元の要素が登場するのであります。

でも。やはり、そんな三次元を知ったところで、味気なさには変わりはないのではないでしょーか。

「どう、生きたか」
いや、
「どう生きるべきか」「どうしたら楽しい人生なのか」
ここが、本当の意味での究極のよーな気がするのであります。

陰と陽に加えて「奥」。
この「奥」こそが、占いという非常識な分野なのに、何千年も脈々とつづいてきた価値ではないかと思いますです。

人生は、日々、選択の連続であります。
右に行くべきか、左に折れるべきか。
この選択で、双子のように、同一の生年月日時の運命が極端なまでに分かれることがございます。

つまり同じ排気量で、同じガソリンを入れた、同じクルマが、雪道を走行するのか、高速道路に入るのか。

お前は農道を走行すべき人生なのに、下手に高速道路を走ったために、不幸な一生を終えることもこざいます。

四柱推命の命式や大運は、運命の逐一を告げているのではなく、自分という人間の性能を命式や対運で教えてくれているのだと、私メは解釈いたしますです。

春の陽光に映し出された自分の影を眺めながら、ぼんやりと考えたのでありました。

2022
01.20

新年会のたぐいを、ほとんど断っておるのですが、断り切れないヤツがございまして、それが本日なのでありました。
断れない会…つまりスーツで向かわなくてはならない集まりでございます。

喪服ならございます。が、黒服だとマフィアに間違えられるやもしれません。
洋服ダンスの奥から、20世紀に買ったダーバンをみつけ、着ましたらサイズはまぁまぁ。しかし、流行にはるかに遅れ、ズボンなどは臍までの長さ。しかもタックまでついていて、袴かと、姿見に映し出さされた我が身に、ギャッとなるのでありました。
髭をすこしカットし、髪をムースで固めて出かけましたです。

ワインを何杯か干しました。
そしたら、ほとんど泥酔。
「こ、こんなはずでは」
千鳥足の自分に、スーツのせいだと悪態をつくのでありました。もちろん心の中で。
ずいぶんお召しになられましたものね、と美人の仲居さんから支えられたときは屈辱でございました。

ふだん気軽な服装で、自由を謳歌しているのでありますが、その自由の副作用を、堅苦しい服装に身を固めると、無抵抗に受けてしまうのでございます。

モリオカで、いつものラフなファッションで、むかしの仲間とあったとき、
「そのキラキラしたマフラーは星占いかなにかなのか?」
「ブーツなど履いてやがる」
「トカゲのブローチに術でも仕込まれているのか?」
などなど揶揄されますですが、これらの軽口は、自由の副作用ではなく、仲間たちの悔しさと羨望なのだと解釈しておりますから、別にどうということはございません。
色味のないカーディガンに、ダンロップのスニーカーを履いた絶望的な爺さまたちに何と言われよーと平気。

トイレのまえで、昔の女子たちから、
「ネックストはどこさ行ぐ?」
と誘われても、50年前ならば嬉々として舞い上がったことでしょーが、
「わるい、もう消毒に行かなきゃ」
時計を見たりするのでございます。
消毒というのは、年寄りウィルスに感染しそうな我が身を、若いオネエさまの店で洗い清めるという意でございます。

とにかくスーツを着用したのは何十年かぶりのこと。

電車で帰る気力が失われ、拾ったタクシーのなかで、ネクタイを解き、ベルトを弛め、しずかに放屁をするのでございました。