2022
01.20

新年会のたぐいを、ほとんど断っておるのですが、断り切れないヤツがございまして、それが本日なのでありました。
断れない会…つまりスーツで向かわなくてはならない集まりでございます。

喪服ならございます。が、黒服だとマフィアに間違えられるやもしれません。
洋服ダンスの奥から、20世紀に買ったダーバンをみつけ、着ましたらサイズはまぁまぁ。しかし、流行にはるかに遅れ、ズボンなどは臍までの長さ。しかもタックまでついていて、袴かと、姿見に映し出さされた我が身に、ギャッとなるのでありました。
髭をすこしカットし、髪をムースで固めて出かけましたです。

ワインを何杯か干しました。
そしたら、ほとんど泥酔。
「こ、こんなはずでは」
千鳥足の自分に、スーツのせいだと悪態をつくのでありました。もちろん心の中で。
ずいぶんお召しになられましたものね、と美人の仲居さんから支えられたときは屈辱でございました。

ふだん気軽な服装で、自由を謳歌しているのでありますが、その自由の副作用を、堅苦しい服装に身を固めると、無抵抗に受けてしまうのでございます。

モリオカで、いつものラフなファッションで、むかしの仲間とあったとき、
「そのキラキラしたマフラーは星占いかなにかなのか?」
「ブーツなど履いてやがる」
「トカゲのブローチに術でも仕込まれているのか?」
などなど揶揄されますですが、これらの軽口は、自由の副作用ではなく、仲間たちの悔しさと羨望なのだと解釈しておりますから、別にどうということはございません。
色味のないカーディガンに、ダンロップのスニーカーを履いた絶望的な爺さまたちに何と言われよーと平気。

トイレのまえで、昔の女子たちから、
「ネックストはどこさ行ぐ?」
と誘われても、50年前ならば嬉々として舞い上がったことでしょーが、
「わるい、もう消毒に行かなきゃ」
時計を見たりするのでございます。
消毒というのは、年寄りウィルスに感染しそうな我が身を、若いオネエさまの店で洗い清めるという意でございます。

とにかくスーツを着用したのは何十年かぶりのこと。

電車で帰る気力が失われ、拾ったタクシーのなかで、ネクタイを解き、ベルトを弛め、しずかに放屁をするのでございました。