2022
01.21

陰と陽というべきでしょーが、「光と影」と表記するとムードが違いますですね。

当たりとハズレでもイイのでしょーが。

占いは、この二次元で判断することが究極なのでしょーが、そればかりでは味気がありません。
「あなたは死ぬ」
ぜったいにハズレない断言ですが、
「ではいつ…」
が問題になり、すると陰と陽に時間がからみつき、そこに三次元の要素が登場するのであります。

でも。やはり、そんな三次元を知ったところで、味気なさには変わりはないのではないでしょーか。

「どう、生きたか」
いや、
「どう生きるべきか」「どうしたら楽しい人生なのか」
ここが、本当の意味での究極のよーな気がするのであります。

陰と陽に加えて「奥」。
この「奥」こそが、占いという非常識な分野なのに、何千年も脈々とつづいてきた価値ではないかと思いますです。

人生は、日々、選択の連続であります。
右に行くべきか、左に折れるべきか。
この選択で、双子のように、同一の生年月日時の運命が極端なまでに分かれることがございます。

つまり同じ排気量で、同じガソリンを入れた、同じクルマが、雪道を走行するのか、高速道路に入るのか。

お前は農道を走行すべき人生なのに、下手に高速道路を走ったために、不幸な一生を終えることもこざいます。

四柱推命の命式や大運は、運命の逐一を告げているのではなく、自分という人間の性能を命式や対運で教えてくれているのだと、私メは解釈いたしますです。

春の陽光に映し出された自分の影を眺めながら、ぼんやりと考えたのでありました。