2022
03.03

金閣寺の屋根の上の鳳凰が翼をひろげているのを、三島由紀夫は、小説『金閣寺』のなかで、「時を飛んでいる」と解しておりますです。
「さすがだなぁ」
感心しましたが、我々だとて、老いながら時の中をてくてくと歩いているのであります。

数日前のこと、モリオカへ向かう新幹線。仙台あたりで、いつもより長く停車しておりました。
「妙だな」
窓の外を見やりましたら、乗車するでもなく乗車しないでもない若い男がふらふらとホームを歩いておりました。変な予感が働きましたので、とりあえずカシャリ。

そして今朝。
早朝の上りの新幹線で東京に向かっておりましたら、車内アナウンスで、
「一本前を行く、各駅止まりの新幹線の車内で暴力沙汰があり、負傷者を救出するために福島で停車します」
負傷者どころか、乗客全員が、私メの乗る新幹線に乗り移ってきたのであります。

あとで分かりましたが、20代の男が奇声を上げて乗客を殴ったとか。
おおごとにはならずに済んだものの、
「世の乱れに敏感なタチなのであろう。多額の弁償が待っているぞぉ」

渡り鳥が北へと帰還する季節が近づいております。
スズメやカラスはなぜ同じ空を飛ぶのに、白鳥などは季節ごとに行き来するのでしょうか。
それによって我々は季節の変わり目を知るのですが、べつに渡り鳥に頼らなくても、
「ああ、春になった」「秋が来たのだな」
ちゃんと知ることは可能であります。

渡り鳥は、定期的に住処を変えることで、「鳥」という生命体を維持しているのかもしれません。
もしも水爆などで日本のスズメやカラスが絶滅しても、渡り鳥だけは別の土地にいて、死を免れるかもしれません。
金閣寺の鳳凰は、同じ場所で時空を飛びながら、「危険だぞ、戦争がはじまるぞ」とバタバタと告げていると解釈しても面白いかも知れませんですね。

早く死んでしまいたい、意志の操縦不能、原因不明の、歯痛、眼痛、頭痛、はたまた過食症、拒食症などの方々が急増しております。
鳳凰さまだと思っておりますです。
季語が狂ってはおりますが、
『桐一葉落ちて天下の秋を知る』
でございますです。