2022
03.17

秋のうちに、だれかの庭の花の種が飛んでいたのでしょーか。
道端に、雑草にはふさわしくない花が咲いていたのでした。
ふと立ち止まり、声をかけたくなるほどの魅力がありました。

「もう家には帰れないんだ」
なんて、不貞腐れていても、つい微笑んでしまうのでありました。

かといって丁寧にしても根っこから切れてしまうから、自室に持ち帰ることはできないようであります。

「明日も話にきてね。できれば…」
できればって、そういういうことじゃなくて、きっと来てってこと。出来ればね、キレイな水で洗って欲しいの。
「犬におしっこをかけられるのか?」
「ずぼし」

但馬を旅行したことがございました。
スーパーで買い物をしていたら、レジ係のオバさんに、
「神奈川からですか?」
声をかけられました。
えっ? 耳をそばだてたら、それには答えず、「十時間以上もかかるんですねぇ。遠くからおいでなさってんですね」
笑うと前歯の一本が汚れておりました。
彼女をさらって都会に連れ帰ったら…もちろん妄想ですが、その妄想にいっしゅん酔った思いが思い出されました。

路傍の花は、脈絡をこえ、そのパートのオバさんの、たぶん若い頃はこーだったに違いないとイメージさせるのでした。

昨夜の地震の影響で、三月いっぱいは東北新幹線が不通になると耳にしたとたんに、
「どこかに行きたい」
旅愁にかられるのでございました。

同じ場所で暮らしていても、季節は動き、冬は春に、春は夏に向かい、夏は秋へと枯れるのですから、旅行しているのと同じかもしれません。

私メの講義する、調候用神法という四柱推命は、一つの種子が、春に生まれたら、夏に生まれたら、そして、このように路傍で育つのか、プランターで大切にされて成長するのかで、たとえ同じ生年月日でも、まったく異なる運命を歩むのだということを推理する占いなのであります。

「明日は雨だよ。自然の水で清めておもらい」
いややいやや、路傍の花は駄々をこねているよーでありました。