2022
10.17

気分を変えよーとバスに乗りましたです。
爺さまと婆さまばかりでございました。
「来年の今頃は、この世の人ではありますまい」
けれど、
「長生き税をとれ!」
「図々しいぞ!」
そういう気持ちにはなりませんでした。

この婆さまも、若いころは、鶯を鳴かせたこともあるのでしょう。
愛欲に溶けあいながら、桃花煞に濡れた狡そうな目で相手を見つめ、そして翌日には別の男と抱擁した、そんな思い出が老体のどこかに隠されているのかもしれません。

爺さまだとて、祭りの夜には、爪楊枝をくわえたくらいにして、篝火よりも燃える目でお女性たちを品定めし、精力の強さを誇ったことだってあるに違いないし、愛を失った時には、絶望の深酒にむかしのお女性に電話して悲しみを薄めたこともございましょー。

いや…。
いまだとて皺と白髪に身は明日をも知れぬ老体になり果てても、若き肉体にむしゃぶりつきたい欲望を秘めていても可笑しくはございません。

そういう私メも、気づけば、彼らと同体でございますから、高みで解説できる立場ではありますまい。

銀座ジプシーとさいしょに会った齢に近づきつつあります。
お女性とみると、ジプシーの眼鏡の奥の濁った眼球の瞳孔が開いていく観察は楽しいものでありました。
「突然に抱きしめられたのよ」
と語ってくれたお女性占い師の多くは、「マダムさんがいるのに」と、眉をひそめつつ、どこかうっとりとしていたのでありました。
「足が悪いでしょ、ジプシー先生は。でもその代わり、腕力は強いのよ」
と。

「ムッシューなら齢になれば、分かるはずだ」
いつだったか彼が私メに笑いかけた言葉でございます。
齢にならなくても十二分に身に染みてはおりましたが。すでに。

人生末期を迎えた生ごみを乗せた、バスはやがて終着のバス停に着くのでありました。