2011
10.03
10.03
やはり年齢なのでありましょうか。昨日の岩手山での風雪にさらされたカラダが冷え切ってガタガタと震えていたのであります。
これは重傷とばかりに、れいの知る人ぞ知るの温泉で骨の髄まで温まったのでありました。
極楽とはこのこと。
もはや誰もいない晩秋の深山のどんつきにある湯治場で亀頭の皮の裏までぬくんだのでありました。
何もいうことはございません。
運勢とかそういうことは二の次。
自然の厳しさに刃向ったわが身を、自然の大地のお湯がなででくれるのでありました。
これはホントの話ですが、誰もいないとおもっていた、板一枚向こうの女湯に「もう上がりますよぉ!」と声をかけたら、
「はーい、わたしも」と返事がするではありませんか。
マボロシにしてもイイ感じではあります。
窓の外は、やがて全山紅葉を迎えるのでありましょう。
ほてったカラダを拭きながら、もういちど本当の恋をしてみたいものだと恐ろしいことを求めるほどに、冷えたカラダはポカポカに復活したのでありました。
ここか混浴ならば、どんなにか素晴らしいことかと、もはや数分前の凍えたカラダを忘却し、はやくも肉欲の煩悩が頭をもたげているしまつでございます。
どうです。
かようにひなびきった温泉が、どこにありましょうか。
ここは私メの財産。私メの宝。魂の最後の砦であります。本当に信じられる人にしか教えられませぬ。
と、閉鎖的な気分になりつつ、一方では「明日の今頃は関東であるなぁ」なんて思いをはせたくらいにしているのでございました。
筋肉痛も癒え、頭から湯気が出るほどにぬくんだ50代後半の肉体は、現金なことに若い女体を思い描くまでに復活したのでございます。
この画座をしみじみと、涙ぐみつつ眺めるのは、そう遠いことではないような気持ちになったのでありました。