10.22
画像は、先日、横須賀にいったときの一枚であります。
「プラザヨコスカ」という看板が、ひん曲がって、立体駐車場の壁面にせっちされていたのであります。
いやいや、もしかすると曲がっているのは看板ではなく、駐車場の方かもしれないと、見ていて奇妙な気持ちにさせられるのでありました。
「目に見えないモノは信用していないことにしているんだよ」
ある日私は、とあるカフェで、とあるお女性に首をふりつつ語ったのでありました。
そのお女性はスピリッチャルの信者でございまして、霊魂をしんじ、生まれ変わりを信じているのでありました。
「目に見えないモノしか信じないのは、心が狭いからよ」
瞬間的に、彼女の瞳に禍々しいいら立ちの炎がともったことでございました。
魂や生まれ変わりの話は、証明の付かない話題ですからも、語り合ってもキリがございません。結局は、彼女の言うように、「心の狭さ」という方向に、話がすり替わっていくのがオチなのでありました。
彼女との話は、ひとつの比喩でございます。
言いたいのは、
どんなにHが合っていても、心の領域になると、このようにかみ合わないことばかりだということなのであります。
看板が曲がっているのか、曲がっているのは建物の方なのか。
それでもピッタリと設置されている。
その哲学的なたたずまいに「ほほぅ」とばかりにカシャとシャッターを切った次第でございます。
東海道線のボックス席に男女がむきあって仲良く喋っていても、それぞれの背景は異なるのであります。お互いがお互いの肩越しに見ている風景は別ものであります。
それでも二人は愛し合っているわけであります。
それでべつに何の問題もないのでありましょう。
しかし、ひとたび関係がこじれだすと、見ていることなる風景が大きくクローズアップされるのでござるのでございますです。
「運命学なんて捨ててスピリッチャルを信じるべきだよ」
そのお女性は、会話に負けそうになり、悔しそうに目に涙をうかべ、私メをなじったことを、ひん曲がった看板を眺めて、ふと思い出したのであります。
目に見えないことを信じるという風潮がたかまりつつありますですが、世の中が変になったのは、ファンタジーとして受け止めだしてからのような気がいたします。
生まれ変われるから自殺しようとか、コロシたって自分のせいじゃない。前世が悪いんだ…云々。
快楽にひたるひとときだけが肉体と魂がひとつに融合されるような気がしないでもございません。
とあれ、いやたぶん…、この看板は、雨水なとが上に溜まらずに、自然に流れ落ちるように、あえて曲げてくくりつけたのだと思うことにして、その場を後にしたのでございました。