2012
07.07

気まぐれで、隣町の平塚市に行って来たのであります。
わずか10分。JRで180円。
年に一度、この街は、七夕祭りでにぎわうのであります。

結論からいって、一人も美女を見ませんでした。

なので、どっと疲れたのでございますです。

美女でないお女性と御老体が、この街にふきだまってうごめいておるのでございます。
これだけではございませぬ。
11組の新婚パレードがございました。
これが、雨月物語なのでありました。
白いウェディングドレスという死装束に身をおおった花嫁が…花嫁=ぴちぴち、ではありませぬ、長年の濁愛を叶えた執念の枯嫁もございまして、直視できませぬ、が、どのカップルも幸せそうに腕を組んで一群となって大通りをすすむのであります。

「いいじゃないの、幸せなのだから」
と自分の胸に言い聞かせながら、なるべく皮肉の言葉を抑止して、新婚パレードをながめるのでありました。

しかし、言わせてくだされ。
美しくないモノ、幸せそうだからといって美しいとはどーしても言えないのであります。

オヤジ花婿、いや枯婿もおりまして、この男は、痩せ痩せさらばえたシワ嫁を伴っていたのでありましたが、もしや…と思ったのであります。
このお女性は、死病にかかっているのではと。
最後の愛の記念に、恥を忍んでこのパレードに応募したのではないかと。
多額の生命保険を受け取る免罪符として、七夕の伝説に脂ぎった身を白装束で清めようとしているのではないかと。

人混みの中で妄想はつのるばかりでありました。

痩せさらばえた老嬢の恥骨がゴキンゴキンとあたりますから、途中からバックに体位を入れ替えなければなりませぬでしょう。
そのとき、指にお女性の髪が海藻のように絡んでいて、枯婿は「ギャッ!」と悲鳴をあげるのでありましょうか。

汗ばんだカラダが鳥肌立ち、瞬間的に毛穴が閉じる異常な寒気をおぼえるのでありましょう。

私メは失礼な、差別的なことを申しているのかもしれませぬ。
が、いついかなるときにもモラルとは別に、予兆というか、象徴的なモノはございます。

今回の、その予兆、その象徴は、「お化け屋敷」でありました。
花嫁バレ―ドは、このお化け屋敷の前をしずしずと通るのでありました。

そうえば、以前の平塚の七夕では、「見世物小屋」もありました。
~この子の生まれは北海道。親の因果がのりうつりまして出来た子どもが、この子でございます。
さあさあ、大人は七百円、子供は三百円、孕み女は二倍だよ~
のアレでありますです。

最近の、異常なまでの差別排除の世相が、見世物小屋という、恐ろしいこの世の地獄の展覧会をすたれさせたのでござましょうか。

代わりに花嫁行列とあいなった次第なのかもしれませぬ。

街角を折れましたら、こんどは車椅子の軍団。
二本足で歩いていることが、むしろカタワに思えるであります。

こちらは本物の老人たちでありました。

まだお盆でもありませんから、線香を手向けることは差し控えましたが、今年が最後の七夕になる御老体も多いことでありましょう。

花嫁そして老人。

キーワードは、「死と再生」であるのでありましょうか。

大汗をふきつつ、平塚の街を後にしたのでありました。

これほどに妄想を楽しんだのは私メくらいなものかもしれせぬ。