2012
07.10

税務署に用事がありまして、久しぶりに四谷三丁目に足を踏み入れたのでありました。
新宿通りは、尾根になっていまして、両脇の地形は落ち込んでいて、谷。
だから四谷なのでありましょう。

江戸時代以前はきっと風が谷から這い上がってきたことでございましょう。

この街は、かつて監修している「ギャンブル宝典」の前身である「ギャンブル大帝」の編集社がございました。毎週のように編集部に顔を出しては、酒池食林で盛り上がったものでございます。

角川から対抗誌である「一攫千金」う雑誌が出て、いろいろな事情がございまして、前任の監修者から私メが引き継いだのでございます。

いろいろな事情とは「風説の流布」事件であります。
人気薄の株をあおったかどで、当局に問題視されたのでありました。
その事件を、私メは別の編集者と「そんなこともあるものですな」などと語り合っていたのでございました。

まさか、私メに監修の話がまわってくるとは、露ほども知らなかったのであります。

が、あの頃は出版業界も活気がありまして、年に二度は熱海で慰労会などもございましたなぁ。

ヤル気があり、一日で400字の原稿用紙で60枚も書き続けたものでありました。

やがて編集部ごと独立することになりまして「オノさんはどっちにつく?」などと迫られまして、出版社を蹴って、編集部側についたという次第であります。

あれから14年…いやいや、祖母が死んだ年なので16年にもなりますです。

付き合っていたお女性はどーなったのでありましょうか。
一人は結婚したらしいのでありますが、他のネェさま方は、いまも健在なのかどーか。
「そんなにラーメンを毎日食って大丈夫なのかよ」
「平気、わたし太らないタチだから」
なんて言ってたお女性も、まだ自慢のプロポーションを維持していますかどーか。

「競馬、大当たりしちゃった。ありがとう、ありがとう」
と、車の運転がものすごく上手いお女性さんに、汐止めインターで、大泣きに泣かれたこともありました。
「これで頑張れる。まだ頑張れるよ」と。

そうそう、野球選手に岡惚れしたお女性もいまして、名古屋に逢いに行ってしまって、たいそう心配しながら、ギャン帝の撮影をしたこともございました。たった二日で五キロも痩せてしまい…私メがですよ…ズボンがだぶだぶになったことを思い出しますです。私メも純情だったのでありますですよ。

当時のお女性と併せて追憶すると、まなまなしさがよみがえりますです。

希望に溢れていた、この道をしすしずと歩く夏の日なのでありました。