2012
10.29

モリオカから北に50キロ。
八幡平の中腹に、かつて鉱山町として栄えたゴーストタウンが秋風になぶられているのであります。

軍艦島と同様に心の落ち着く一帯なのでありました。

誰にも知られぬまま終わりを告げた関係のようでもあります。
腕の中でなんども快楽にふるえ、おびただしく体液を交換しながら、まいかい若さをはぎ取るような交わりをくりかえしつつ、ただ別れの日と、相手の心におののく関係が、ふと途切れたまま、気付くと数年が経過している。そのような心の廃墟を、すみずみまで見せられているような安らかな風景なのであります。

美しい濁情だったのか、肉の欲求だったのか、愛したのか愛されたのかすら、いまとなっては定かではなく、出会いと別れの間に繰り広げられた暴淫暴色の日々を思い出そうにも思い出せず、顔を上げると、そこには無数の窓がならび、そのひとつひとつの窓の内側にも、いぜんはそれぞれの濁情が存在したのかと、心は不思議な気持ちにながれていくのでございますです。

心にも復興再生の力はありましょう。
けれども、廃墟のままにうち捨てていたい廃墟があるのも事実なのでございます。

「いまモリオカなんだよね」
「ブログで知ってた。だから電話したの」
「物理的にあえないからな」
「そうね、物理的に」

彼女の最後の会話を思い出したのでありました。
「わたし、ダメなの。食事のお金をぜんぶ払ってもらわないとダメなの。好きじゃなくなるの」

勝手なことをホザいてやがると口の中で言葉をころし、山手線の巣鴨で彼女が降りるまで、なにごともなかったような世間話をしながら、その最後の言葉が、このお女性のどこから湧いてきたのかを考えていたのであります。
答えなど見つかるわけもなく、「寒いでしょう」という深夜の電話を受けたのでありました。

声が妙に響いて聞こえることから推測すると、ご亭主の目を盗み、トイレからかけているのかも知れないのでありました。

「迷惑だった?」
「いささか…」

廃墟になりきっていない関係は、どこか醜さが混じっているものであります。
濁情とは、その醜さの美しさにあるともいえましょうか。
とすれば、廃墟の美しさは、過去のものとして分類してしまう、拒絶という冷酷さなのかもしれませんです。