2012
10.03

先日、飲み屋のマスターと、「同棲時代」の話題になったのであります。
由美かおるの映画のヤツは有名ですが、TVのヤツはほとんどの人たちは憶えていないようでした。

「ありました、ありました」
いまはデブのジュリーと太田雅子、いやいや改名後の梶芽衣子の共演のヤツであります。
たしか90分くらいのドラマでございました。

ありましたありました、と共鳴しくてくれたのは、飲み屋のマスター。
どうせ、適当な相槌かとおもいきや、ちゃんと記憶しているのにはちと驚きでありました。

お女性は昔の話題よりも、現在のことの方が楽しいらしいのでありますけれど、男どもの話題は昔のこと。
その話題だとツミがないという理由もありますですが、ちょっとしたヒントで、忘れていたことが天然色でリアルに蘇る感動は、ほかに比するものがないほどでございます。

そこに発展性がないこともまた哀愁があるのであります。

記憶は、頭の神経のすみずみまで働かし、「あれもあった」「これもあった」と嬉しくなるのでありますです。

じつは、そのバーではお女性と待ち合わせに利用していたのでございます。
けれど、マスターとの想い出話が楽しくて、
「くるな、まだ来るな」
と呪文を唱えておりました。

「ごめーん」
などと遅れて扉を開けたとたん、想い出は、美しいローマの遺跡が陽光を浴びたとたんにメラメラと剥がれおちるように消え去るのでありました。

お女性だけでなく、男もまた、そうなると目の前の獲物を見つめ、過去の思い出など、どーでもいいようになるのでありますです。

男と女の想い出話は、はたして存在するのか。
「あのとき、あなたはこう言った。すごく傷ついた」
などの話に堕ちてしまうようであります。

かといってマスターとのように純粋な想い出を語るようになったら、もうお仕舞いでありましょう。

倦怠の関係は、それはそれで味はあるのではありますけれど。