2023
07.25

今回のモリオカはいろいろとイベントがありました。

実家の向かいの建設中の家で、「餅まきをします」と知らされたので、お近づきにサンダルをつっかけて行ってみました。

と、いうよりも、
「松井のオバちゃんは大丈夫か?」
気になっていたのであります。

この建築中の住居は、松井さんの隣家だからです。
もともと松井さんの土地なのであります。
ですから塀もフェンスもなく、丸裸状態で、土を動かした影響を受けているのであります。

いつも松井のオバちゃんは、草取りをキチンとする人ですが、今夏は草ぼうぼう。
姿も見ていません。

餅まきがはじまりました。
近所の子供たちが30人ほど。中高年のオガさんたちもあつまり、放られた餅に群がり拾うのでありました。
が、そのなかに松井さんの姿はありませんでした。

私メも餅を拾いました。
拾うつもりはなくても、天から餅が放られますと、反射的に拾ってしまうのも不思議であります。

いいえ、いくつかの餅にはコインが仕込まれていることを見つけたからであります。

じつは棟上げ式に餅まきをするのを見たのは初めてでございます。
モリオカでも聞いたことのない珍しいイベントでありました。

松井さんの家はしーんと静まっておりましたです。
窓は開いていましたから、中にいるはずであります。
おもてで、賑やかな歓声を、松井のオバちゃんは、どんな気持ちで聞いているのだろーか。
ちらとでも顔をみせればイイのに。
「勝手にすればいいのだ」

一時間後には、それらいろいろをすっかり忘れているのでありました。

2023
07.24

先週のブログで、モリオカに戻った日に疲れて昼寝をした時の話題をUPいたしました。

夢から覚めたら、そこも夢で、実家の廊下を歩いていたという夢の話です。
立派な廊下なのに、障子紙が破れ、エアコンの風に煽られていて廃屋状態だったという夢であります。

で、先日、法事でお寺さんに行ったのですが、その寺の廊下が、夢に出てきた廊下とそっくりだったのであります。
障子紙こそ破れておりませんでしたけれど。

違っているのは、左右反対。
画像では左側に障子戸がございますが、夢では、障子戸は右側にあったのでございます。
つまり画像の左右反転したものが夢の中の景色です。

「うわっ」
心の中で驚きの声をあげました。
怖れではなく、懐かしさをともなう驚きの声でございます。

無意識にでも法事のことが気になり、記憶に刷られているお寺の廊下が夢に出てきたのか。それとも幽体離脱のひとつなのか。

いや、お寺で見た夢を回想していることが夢で、もしかすると目覚めると、そこは先週の自室で長椅子で昼寝をしている私メがいるのかもしれません。
私メの実態は存在するのだろーか。
それとも幻なのか。
「オレのことが見えるか?」
妹に問おうと振り向きましたが、後ろを歩いていたはずの妹がおりません。
弟は…弟もいたはずであります。弟もおりません。

坊主も老母もどこに消えたのか見当たりません。
遺骨部屋へ草臥れた畳がつづくばかりでございます。

境内は静まり返り、真夏の陽光が、すべての色彩を漂白し、石畳に黒い木影をつくっているのでありました。

遠い山門の向こうを誰かかがよぎったのは気のせいでしょーか。
何も聞こえません。
いいえ、聞こえる。
蝉の鳴き声が喧しく聞こえますです。

蘭丸さまに行かなければいけない、どーいう思考回路が働いたのか、私メは立ち尽くしていたのでありました。

2023
07.23

四柱推命にはさまざまな約束事があり、『干合』もその中の一つであります。

干合とは、文字通り、干と干が合することを言いますです。
甲ー己 乙ー庚 丙ー辛 丁ー壬 戊ー癸
この5種類であります。
簡単に言いますと、執着みたいな解釈になりますです。
たとえば、
時日月年
○ 庚 乙 ○
がございまして、日干の庚から見ますと、月干の乙は、財であります。
また財は男にとってはお女性とも見ます。
両者の力量によって、お女性に翻弄されて失うのか、お女性を束縛して苦しめるのか、素晴らしい尾女性と結ばれるのかと解釈は異なりますけれど、この男はお女性に執着した人生を歩む運命なのであります。

ところが、干合はそれだけにとどまらず、一定の条件がそろいますと、別の五行に化すのであります。
上の例ですと、乙は辛に化す現象を生じるのであります。

○ 庚 辛 ○
と命式が変化することがございますです。

そーすると、この男は、干合の働きによって、お女性を求め、朝から晩まで「女、女、女」と性欲から逃れることはできません。が乙の財が辛の刧財に変化することになると、やっと目的のお女性を手に入れたとしても、いざ、オッパイに手をのばすと、そのお女性のオッパイはブロンズ製のオッパイに変わってしま4という悲劇の結末になるのでございます。

なお、干合、倍加干合とか無作用干合とか平気で論じている方々が多いのですが、これらの根拠はございません。誰かが新しい流派を始めるために編み出したデタラメでして、どの原書にも倍加干合も無作用干合の文字を見いだすことはできません。
教えられたものを有り難がって論じている無邪気な方々と見られますです。
くれぐれもお気をつけくださいまし。
「学問としてのは四柱推命」とうたっている流派は、「当たらない四柱推命」とささやかれている所以でございます。
断易の師匠である鷲尾先生も、「悔しかったら当てて見ろ」と非難しておりましたっけ。

悪口はこれぐらいにしまして、いずれにせよ、干合によって化したとしても、化す前の干も取り込んでの鑑定は絶対に必要なのであります。