2025
01.17
01.17
1977年の1月17日ですから、今から48年前、東大法学部4年の学生が、三四郎池の藤棚で首つり自殺をしたのであります。
遺書から、画像の数式が見つかり、「生きる意味の数式」と呼ばれておりますです。
数式は「生きる意味」を積分であらわしたものでして、目を引くのは、出生時から死亡時までを動く範囲として「∫」の上部に死亡時、下部には出生時置き、これに、現在生きることの値打ち×死亡時×時間として、出た答えがイコール「自殺が最善」となったのであります。と言うか、そのように東大生は解いたよーでございます。
算式そのものは、さほど難しいものではなく、当時は、この学生が司法試験に叩き落ちたため悲観しての自殺と騒がれましたです。
しかし、なるほどと易者である私メは腕を組むのであります。
運命を数式で解くのも一興だ、と。
だが、まてよ、とも思うのであります。
この数式には他者からの影響が考慮されておりません。
運命は自分だけの命式に拘ってしまうと絶望とぬか喜びしかございません。
他者との絡みの中でこそ、幸運と不運が乱れた糸のよーに襲ってくるのであります。
たとえば金運といっても、お金は他人の財布か銀行にしかございません。
山に入って土を掘っても、お金はでてまいりません。
お金を得るには他者との絡みが必要なわけであります。
もしも、この東大生が四柱推命を学んでしたら、
「惜しい!」
とも思うのであります。
いや、であっても、自分の命式に絶望し、やはり2.7メートルの藤棚にぶら下がる運命からは逃れられなかったのかもしれませんけれど。