2011
10.24
おそらく忙しいからなのでありましょう。
せめてメシの時くらいは、という遊び心が働いたものと見えます。
けっしてセックス依存症ではございません。
ひがな一日中、動かずにねとっとPCの前に座っていますゆえ、低カロリーのモノと考えまして、チキンとシシャモの取り合わせでございます。
そうです、見た目は脂ぎっていますけれど、かなりカロリーは抑えておりますです。
そしてシシャモと二個のプチトマトを眺めていましたら、こういう盛りつけとなるのは、男ならばしごく当たり前のこと。
さかさまにいえば、こういう盛りつけをしない男はヘンタイだと断じてもよろしいでありましょう。
そそりたつ食材のオブジェ。
バカじゃないの? なんて内からの声に耳をすましてはならないのであります。
料理は官能、官能は料理。
どちらも夢のようなひととき。
なにもかも忘れてむしゃぶりつくわけでございます。
「おいしい…」
「おおっ、グッド、ティスト…!」
「イイ匂いがするね」
「恥ずかしいところを嗅がないで」
ありゃりゃ、昭和の枕絵というか枕写真の文面のようになりましたですね。
しかし、文明はこういう楽しみを消し去ってしまうのでしょうか。
明るすぎるのであります。
この料理を、たとえば暖炉の薪の炎にうるませたらどんなに素晴らしいことか。
薪がはぜるたびに、炎の明暗が、料理をいきたものにしあげるでありましょう。
炎は二人の瞳まで揺するのでございましょう。
が、今夜はワインはいっぱいだけ。
くちびるの脂をぬぐって、ふたたびPC前の男になるのでありました。
Category:
開運料理 /
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2011
10.23
本屋にたちよったら、不意に、酢豚を食いたくなりまして、中華屋に入ったのでございます。
時間はちょうど正午でありました。日曜日でありましたから、人通りもあり、茅ヶ崎は老人たちで賑わっておったのでございます。
「これは混んでいて満員かな?」
と案じましたが、お客はひとりもおりません。
「酢豚ランチ」
と注文いたしました。
700円であります。安いのであります。
が、店内はガラーンとしたまま。
ガラスの扉から外の様子がみえまして、たくさんの通行人がおりますのに、誰ひとりとして店に入ってくる人はいないのでありました。
「何があってのであろうか……?」
悪い噂でもない限り、これほどのシカトはないでありましょう。
殺人か、自殺か、暴力か、それとも食中毒なのか。
セシウム混入くらいなら、平気でありますが、何かの祟りだと、ちとオソロしいのであります。
けっきょく、この酢豚ランチを食い終っても、お客は誰一人としてはいってくる様子はないのでありました。
料理の味は30点。が、値段も値段でありますれば。
まるで罪人のように背をかがめ、誰とも目を合わせぬように店をでたのであります。
成人映画館からでてきた中学生のごとく。
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十傳の日記 /
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2011
10.22
画像は、先日、横須賀にいったときの一枚であります。
「プラザヨコスカ」という看板が、ひん曲がって、立体駐車場の壁面にせっちされていたのであります。
いやいや、もしかすると曲がっているのは看板ではなく、駐車場の方かもしれないと、見ていて奇妙な気持ちにさせられるのでありました。
「目に見えないモノは信用していないことにしているんだよ」
ある日私は、とあるカフェで、とあるお女性に首をふりつつ語ったのでありました。
そのお女性はスピリッチャルの信者でございまして、霊魂をしんじ、生まれ変わりを信じているのでありました。
「目に見えないモノしか信じないのは、心が狭いからよ」
瞬間的に、彼女の瞳に禍々しいいら立ちの炎がともったことでございました。
魂や生まれ変わりの話は、証明の付かない話題ですからも、語り合ってもキリがございません。結局は、彼女の言うように、「心の狭さ」という方向に、話がすり替わっていくのがオチなのでありました。
彼女との話は、ひとつの比喩でございます。
言いたいのは、
どんなにHが合っていても、心の領域になると、このようにかみ合わないことばかりだということなのであります。
看板が曲がっているのか、曲がっているのは建物の方なのか。
それでもピッタリと設置されている。
その哲学的なたたずまいに「ほほぅ」とばかりにカシャとシャッターを切った次第でございます。
東海道線のボックス席に男女がむきあって仲良く喋っていても、それぞれの背景は異なるのであります。お互いがお互いの肩越しに見ている風景は別ものであります。
それでも二人は愛し合っているわけであります。
それでべつに何の問題もないのでありましょう。
しかし、ひとたび関係がこじれだすと、見ていることなる風景が大きくクローズアップされるのでござるのでございますです。
「運命学なんて捨ててスピリッチャルを信じるべきだよ」
そのお女性は、会話に負けそうになり、悔しそうに目に涙をうかべ、私メをなじったことを、ひん曲がった看板を眺めて、ふと思い出したのであります。
目に見えないことを信じるという風潮がたかまりつつありますですが、世の中が変になったのは、ファンタジーとして受け止めだしてからのような気がいたします。
生まれ変われるから自殺しようとか、コロシたって自分のせいじゃない。前世が悪いんだ…云々。
快楽にひたるひとときだけが肉体と魂がひとつに融合されるような気がしないでもございません。
とあれ、いやたぶん…、この看板は、雨水なとが上に溜まらずに、自然に流れ落ちるように、あえて曲げてくくりつけたのだと思うことにして、その場を後にしたのでございました。
Category:
独断的恋愛論 /
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