2017
02.24

苦しい時代でございました。

占い団体から追放された頃のお話をいたしましょう。
1993年1994年。

やっと占いで食っていけそーだと思った矢先に、梯子を外されたに等しい、つまり不幸より苦しい、希望の灯火を吹き消された二年間なのでありました。

孤立無援とは、このことかと、ならばもはや誰も信用せず、自分だけで立ち上がるしかないのだと肚を括ったのであります。

肚を括ったにしてはショボイのですが、「ムッシュー通信」なるものを破れかぶれで発刊したのであります。
発刊といっても、バイト先で人目を盗んで、百部ほどコピーしただけでございます。家内制手工業的な作業は、今も昔も変わりは致しませぬ。
それを名刺の主などにメクラめっぽうに郵送いたしました。切手代のこともあり100部が限界でした。

ブログもない時代であります。

が、これがやがて年収を10倍50倍に押し上げる、最初の一歩になったのでありますから、世の中はやってみなくては分かりませぬ。

書籍を出しましょうも、占いイベントのボスになってくださいも、雑誌の監修をお願いしますも、サイトに使わせてくださいも、すべて2年間、16部まで出したムッシュー通信が契機になったわけであります。

が、それはしばらくしてからのお話。

当時は、
「運勢は上がるはずだ」という四柱推命の読みにも不安を感じつつ、が、とにかく暇な時間を潰し、不安を追い払わねばなりません。ぼんやりする時間が恐いのであります。

小わっぱどもの作った流行歌の歌詞や小説や映画の中だけの甘いたわごとをすべて憎んだのもこの頃でございます。新聞もテレビも政治も歴史も科学も、なにもかもを憎んだのであります。

「こんなものを出して、誰が喜ぶのよ!」
「得になるの?」
「いい加減にしてよ。あんたはもう終わってしまった占い師よ」
「死ね、くそ野郎!!!」
「ムッシュー・オノよ、安らかに眠れ…!」
かつての仲間だと信じていたお方たちからの電話がございました。

『すべての凶事は自分の言動が起因している』
いまこそだ。いまこそ学んだ運命学をフル稼働させるしかない。武器はそれしかないのだから。

ニセモノどもに負けるわけにはいかないのだ!
自分の言動が凶事の起因だとしても、やはり彼奴ら一人残らずに思い知らせてやらねばならぬ。このままでは郷里のモリオカでクラスメイトに上目遣いをしつつ、ゴミ拾いをする運命しか残ってはいないのだぞ。
腹の底から熱湯のような善悪を越えた何物かがこみ上げてまいりましたです。いまでもリアルに思い出しますです。周囲の風景が五色に見えだしたのでありました。発狂していたに相違ございません。

狂っていたとしても、まなじりを上げたとき、やっと光が差し、運命の回転と自分の行動が噛みあってきたのでございます。

疲れた時、面倒になった時、嫌気が差した時、手抜きしようかと思った時、このムッシュー通信を眺めては、「わがねわがね、それではわがね、完全に息の根を止めた彼奴等の供養のためにも」と初心に戻るのでございます。

暗い話になりましたですね。

明日の姓名判断②の測字占法のネタが、このムッシュー通信に書かれておりますです。一部をコピーし、テキストのオマケにしたいと思っておりますです。
私メの入魂の塊が、おそらく、いまも鼓動しているはずであります。
これも、十傳スクールの講義とはひと味異なるセミナーの醍醐味かと思いますです。