2015
09.19

「人間的に」とか「人格的に」という単語が、さいきん当ブログのコメントに多いよーに感じられます。

それらの言葉を発するのはほとんどがお女性だと推測いたします。
男だったなら「そろそろ、あの世行ですな」とか「アーメン」の返事で自殺を薦めることになるのでしょうが、お女性ならば化けて出られても恐いので、顎のあたりを掻きながら「なにも分かってねんでねの」とニヤニヤするばかりでございます。

人は多面体でありまして、人格というひとつの括り方ではおさまらないのでございます。
ある人には「正しい人」に見えても、別の角度から見ている人にとっては「ずる賢い人」に見え、また違う面体からは「頭の柔らかな人」と見えるかもしれませぬ。

本人も接する相手に対して微妙に態度を違えるのは当然でございましょう。
多面体の面体を数多く持っている人ほど謎めいて感じられ、また極端に多すぎるとオドオドした人になりがちでございます。

でございますから、人格とか人間性などという言葉は、「あの人は最低な男よ」と言いふらし、「そうだったの、やっばり…」とかの群集心理を引き起こすための誘発剤でしかありませぬ。
面白い事に、「人としてどーのこーの」と言い出すのは。飲み屋とかフーゾクのネエさまに多く見られます。
フーゾクのネエさまを差別しているのではありませぬ。しかし「ははぁ、あんだも人間性をいいますか。そういうタイプなんだすな。んだばこうすれば堕ちるべな」という攻略方法を選ぶ参考にはなるでありましょう。

いや、「あなたって人間的に最低ね」の言葉はお女性が言う最後の褒め言葉でございましょう。
肉体的に男の麻薬にかかって抜け出せなくなったお女性は、きまって男の人間性うんぬんを言い出すのは面白い現象でございます。

ようするに、人は多面体の魅力を持ち合わせてまして、その時々で有効と思われる面に光をあてながら生きているのでございましょう。

占いも西洋系、東洋系あわせると軽く二百を超える占いがあり、そのそれぞれで流派がございますけれど、それら占いもまた、人間の多面体の一つの面にスポットを当てたモノなのでございましす。

いろいろな占いの判断にズレがあるのは、多面体の角度を変えて見ての判断でありますから、それはそれなりの理論がございますです。

が、人間性の良否を論じるのは儒教でありまして為政者に都合の良い宗教的な判断ではありますが運命学的な見地からは外れておるのであります。

易者なのに、人間性などを語り出したら、もうお仕舞かもしれぬなぁ、と感じつつUPいたしましたが、くだらなく長くなってしまいましたです。

おっと、忘れないうちに。
家相セミナー霜月の陣のお申込みはお早めにお願いいたしますです。
もうじき締め切りの人数になりますゆえ。