2015
09.25

カーブを抜けたら秋がひろがっておりました。
そして小雨。

落ち着きます。
もとめていた季節の到来なのでございます。

たとえ暗い時代への坂道をくだっていたとしても醗酵した葡萄の酒を傾けるよーな心地よい風に包まれておるのでありました。

とぎれていた記憶、たとえば「じゃ、またね」が別離の言葉になったお女性と川べりをおデートしたのはどうしてだったかという謎は、じつは私メの勘違いで、川べりのおデートは別れのずっと前だったということが、一瞬にして納得させられるような秋の風なのでございました。

早く行けの後方からのクラクション。
しかたなくハザードランプをつけ、しばし秋の気配に耳を澄ますのでございました。

郷里の書庫に積まれた「舞踏会の手帖」のビデオテープを取り出して鑑賞したくもございます。
それとも「通夜の客」にしましょうか。

本日のドライブは七つのお寺をまわっての墓参りなのでありました。故人をひとりひとり偲ぶと、ああ、みんなツイてない一生だったなぁなどと感じられたり、いやいや、そんな人生でも笑ったり飲んだり無駄遣いをしていたではないかなんて思い出されるのでございました。

血族の墓参りは、自分の骨や肉や血の成分に近づくことでございますから、魂のビタミンドリンクを呷っているよーなものかも知れませんよ。

戦国武将の伊達政宗が死んで、それにともない殉死した者が16人ございまして、小野仁左衛門時村もその一人でありました。私メの祖先でございます。
「かけたかき松に風の吹き荒れて 散りそう露はおのの下草」
という辞世が残されており、40代前の言葉に励まされたりもいたすのでありました。

すべては、しのびよる秋のせいでございましょう。