02.15
雨粒の流れる車窓の向こうに、お女性がベンチに腰かけておりました。
一瞬間だけ視線が交錯いたしました。
「死んでも、もう逢うことのない人だろう」
千葉県に仕事で赴いた、わかしお号に、私メは乗車していたのでございます。
日々は奇跡に満ちていると気づくことがございます。
婚活サイトを利用して出会いを求めるお方が多いのでありますが、違和感をおぼえるのは、そこに、この「奇跡」を感じられないからかもしれません。
奇跡は神秘を背景にしているようでもあります。
旅情に耽っているからこそ、通り過ぎる駅のベンチに腰かけるお女性との出会いの幻想を楽しめるのでございます。が、日常のなかにも奇跡が潜んでいることは、いろいろと言い尽くされております。
一生に一度すれ違うだけの関係は、大きなターミナルではしごく日常的なこと。
すれ違ったことを知らずに、どこかで再開するようなロマンスを想像しても楽しく、そして寂しくなるのでございます。
老人になり果てても、そういうほろ苦い気持ちは衰えてはおりません。
東京を出で、しばらく地下を走る時、
「ああ、お婆さんに逢いたい」
痺れるような思い出がにじみました。
かつて断易の師である鷲尾先生は、築地の裏の八丁堀の公民館を利用して講義をなさっており、ちょうど、総武線の地上あたりなのであります。
講義を終えると、株占のお婆さんと、秋葉原まででて、そこから岩本町の新線に乗ることを常としておりました。
80過ぎのお婆さんですが、喋り込んでいると、ときおり若いころの美貌の名残を垣間見せるのでありました。
「もう会うことは出来ないのだ」
数えると、いろいろな恩人さんが、この世を去っております。
「夢のようだ」
この表現がピッタリであります。
「嘘だったのかもしれない」
ハッと我に返ると、盆栽の手入れをして、大切な枝をハサミで切り落としてしまっていたりして。
車両には私メひとり。
ぜいたくな旅行っぽいのでございます。
「舞踏会の手帖」という古い映画がございます。
未亡人が、過去に自分に熱を上げた男たちを訪ねに行く物語であります。
そして、会うたびに失望をするのであります。
「このままでイイのだ」
これからいったい出会いというモノがあるのかどうか。
いや奇跡に気づけるかドーか。
期待してみたいのでございます。