2021
02.23

春眠の季節でございます。
とくに二度寝の夢は、まことに不可思議な濃縮した内容。
下手をすると目覚めてから、その日一日中、夢を反芻することさえございます。

私メは、10代の頃から、ときたま、いや数年に一度、夢でしか逢えないお女性がおりますです。
そのお女性に逢うと、膝から力がぬけ、愛欲の炎に焼かれるのであります。
「やっと逢えたね」
の声すらも甘く首筋をなぶる感覚。
あるときは隣に人がいるというのに、丸裸になってソファーの片隅で抱き合うのでございます。あるときはモリオカ公会堂の別室で。放射能に包まれながらという時も。火口の淵でとか。
齢をとらないお女性でございます。

が、あるとき、自由にお女性と逢う方法を見出しましたです。
自由というのは言い過ぎで、逢うと魂が痺れるほどですから、スルリとどこかに消えたりいてします。

でも、ある程度、夢を自在に操ることは可能であります。

夢の中で、
「これは夢だ!」
と気づくことがあるはずであります。
たとえば、高いところから落下する夢とか。落下しながら、「夢に違いないぞ」と思うことが、きっとあるはずであります。

そのとき、
「夢ならば、飛べるはずだ」
両手を広げるのであります。
すると、ピーターパンとウェンディ―のように、ふわりと体が浮くのであります。

飛んだ経験もないのに、近所を屋根より少し高い空を飛んでいるのでございます。どこからくる記憶なのでしょーか。

これを応用すれば、
「夢なのだから、何でも可能になるのではないか」
そこでお女性を探しに出かけるのでございます。

空を飛びながら、彼女の出身校(夢の住人なので確かではありませぬが)の三階の窓の外から教室をのぞくと、
「出たな」
ニヤニヤと目配せし、「いま行くから」と鉛筆で上をさし「屋上で待ってて」の合図。

あるいは渋谷の改札口に現れたり。ヒラリと着地する奇妙さ。

ところが、そこで私メは魂を抜かれ、夢を操縦するハンドルを忘れるのであります。

改札口の彼女のすぐ後ろに、実際に存在する別のお女性が運悪く居合わすなど、その時点で夢の渦に巻かれるのことになるのでございますが。

しかし、あるときは銀行の金庫に透明人間として侵入することも難しくはございません。
宝くじを射止めることもございます。

ただやはり、大金を前にすると、意識が夢に支配され、札束がみるみる溶けだしたりはいたしますが。

欲に関すると、夢でも、夢のように儚い結末になってしまうよーでございます。

今夜は、飛ぶ夢を見たいと思いますです。