2023
08.21

ススキのような鑑定を目指しております。
枯れた鑑定であります。

断易の卦を見つめておりますと、それぞれの陰陽が、それぞれ強弱の鼓動をもって並んでおります。
五行や十二運の力の強弱だけでなく、それぞれの卦が、それぞれ影響しあいながら、強く、あるいは静かに息をしていることを感じるのであります。

この爻は強いけれど、その強さはすでに終わってしまった強さだとか、この爻はいまは弱いが、やがて時を待って勢いを持つとか、まるで人間の栄枯盛衰の生き写しのよーに見えてくるのであります。
そこから運勢の読みが、メロディーのように可能になるのでございます。

天が動き、夜明けの太陽が上がり中天に差し掛かり、ときならずの黒雲に光が遮断されつつ、夕暮れの日没にはいり、すると風に払われた黒雲の間から三日月が顔をのぞかせるという具合に。

強いから良いというのではなく、弱いからいけないというのでもなく、強いものが弱体化し、弱いものが強固に変わるのはいつか。いまは隠れて身をひそめている獣が踊り現れるのはいつか。

断易の原理原則は、そのまま人間の生活を語っておりまして、その原理原則を知れば、卦を立てるまでもない場合もございます。
モラルや道徳という、そのときそのときによって変化する時代を、原理原則は超越しております。

「だから」
と鑑定者はもうします。
「そのような気持ちだからダメなのだ」と。
「諦めてはいけない」と。
「ポジティブに生きなさい」と。
「あなたは一人ではない」と。
説教鑑定に堕ちてしまうのでございます。
易者は説教できる身分ではございません。

断易の原理原則は、そんな体温は告げておりません。
モラルも道徳も、その時代の錯覚だからであります。

ススキの如くの鑑定を、ときたま体験した時の歓びは忘れられません。