2024
08.17

お盆が終わると、モリオカの町は急に寂しくなりました。
帰省していた皆様が、お戻りになったのでしょー。
風までが秋の匂いをのせてそよいでいるのでありました。

私メは納屋から、片付けていないお茶箱をひらき整理しはじめたのです。

すると色々と興味深いモノが続々と出て参りました。

これは祖父の日記。
こまごまと記されています。
その日に会議した人との交流。そしてお金の支出にかんするまで。

「しかし、もう死んでいるのだ」
会話した人ももうこの世の人ではありますまい。支出したお金も意味をなさなくっているのであります。

みんな生きている時の一瞬のかかわりあいなのであります。
祖父が死んだのは私メが16歳の時。ですから50年以上。しかし、50回ほどの夏でしかありません。

「日記は処分すべきだ」
祖父は男女関係だけは真面目な男でありました。
せいぜいエロ小説を読書するくらい。
しかし、私メは…。
日記は55歳の時に書くことを止めていますが、石川啄木のローマ字日記のように残されてはタイヘンであります。

ラブレターの一通ぐらいは残っていても良いと思うのですが、祖父の小箱からは、そよーな艶っぽいものはありませんでした。