2021
01.11

関東に合わせて、本日11日に鏡開きをいたしましたです。
甘いものが欲しかったところなので、餡ころ餅にいたしました。

武家などは、刃柄祝いで、はつか=20日に鏡開きをするところもあるそーでありますね。

時間があったので、餡ころ餅を味わいつつ、易者の占いに対する姿勢を考えてみました。

為占者
占主処常在 常為以非常 的中在学常
筆如順逆法又易如順逆用 期的中以常心非常知順逆 運占可使用

『占いを為す者 占の主とするところは、「常」に在る。非常を以て「常」と為し、
的中するには「常」の学にある。
筆に順逆の法がある如く、占にもまた順逆の作用がある。的中を期すには、常心非常を以て
順逆を知る運占を使うべし』

下手糞な漢文でありますが、ちと作ってみたのであります。
占いにも種類が数々ございます。
どれが的中する、どれがダメだとか言われておりますが、つきつめるところ、易者個人のモノのとらえ方に集結されるのであります。

モノのとらえ方とは、すなわち「常」という一文字に鍵がございます。
常は、常ならず、常ならぬ処に常があるわけでありまして、
刻々と時代が変化することこそ常であり、時代が変化しても変化しないものこそが常でございますです。

いわゆる、時代における常識を脱ぎ捨てて残る人間の正体とでも申しましょうか。そこを見誤らなければ的中は掌にあるのであります。
そして的中とは、当てることもそーですが、それよりも、相談者の持つ運命の幸運の限界まで開運させる作業なのであります。

また、占いに来られるお客様は、悩みがあるからこそ占断を求められるのでありますから、そこに一般常識は通じませんです。すでにそれらの常識は分かっていて、それでも解けない悩みがあるのであります。
非常の常心で臨むことが肝要。

それらは書籍で残すことはできません。
講義の間に間に、エロ話に溶かして述べてはいるのでありますが。

が、これを知らないと、いかなる占いを何年かけても徒労に終わるのであります。
つまり占いは技術ではなく、常を会得する。これに尽きるのであります。なにしろ占いは非常の常を知る勉強だからであります。

しかし、覚悟せねばならぬことが一つ。それは、非常の常を会得することは、どうじに友を失う作用がありますです。

餡ころ餅の甘さを、モリオカの実家で漬けた白菜で中和させながらゲップが出るまで味わうのでありました。