2023
06.25

「他宗教を容れてはならない」
これがオノ家の家訓であり、「他宗教を入れた時、オノ家は滅ぶ」と祖母の書置きにもございます。
亡父は、その点が、甘い男でありまして、「固く考えなくてもイイではないか。趣味の一つなのだから」と、ついには滅びの道をたどったのであります。

が、宗教は一筋縄ではいかぬ厄介なモノでございまして、魂を侵食し、それがウィルスのよーに子供へと受け継がれる特徴がございます。

私メが15歳の時、母方の祖母に「東京見学に行ってみねっか?」と誘われ、祖母の信仰する新興宗教の青梅市にある道場に一週間ほど幽閉されたのであります。
肩に斜めに南無妙法蓮華経の文字が染め抜かれたタスキをかけられ、朝から晩まで勤行の明け暮れでした。
最終日には三百畳の大広間に一同が集められ、部長というオバさんに『親孝行』の大事さを説かれ、それから皆でトランス状態になるまで題目を唱え、すると周囲からすすり泣きとともに、
「お母さん、ごめんなさい」「ごめんなさい、お父さん!」
の懺悔の声、声、声、声。
まるで、落城寸前の天守閣で、家来一同がバタバタと自害して果てるよーな光景に似ているのでございました。

キョトンとする私メの前に、見回りの信者がきて、
「なぜ、あなたはお題目を唱えないのです?」
問い詰められ、「ボクは関係ありませんから」と答え、それでも見回り役が去らないので、「親の、子に対する恩はないのですか?」という意味を問い返した記憶がございます。

後年になり、ははーん、親孝行の美辞麗句の向こうには先祖供養があり、墓を作れとか、仏壇を買えという経営目的が存在するのだな、と宗教のカラクリがすっかり見えてしまったことでした。子に対する恩を説いても儲かりませんから。

いまでも老母は、この新興宗教から離れず、ひそかに経典や宗教新聞を隠し持っているのであります。私メが関東に行って不在の時、会員を迎え入れていることも、見張り番によってチェックいたしました。

亡父は、老母を愛していたのでございましょー。私メなら、そっこく離縁でございますが、しかし老母として付き合っているわけで、そこが忸怩たる複雑さでもあるのであります。

さて、本日、法事がらみで温泉に宿泊した何人か、オノ家に立ち寄ったのでありました。
二人ほど新興宗教の信者でございます。

この二人は仏間に通しませんでした。ギロリと老母に目玉を回しましたが、ボケ老人を演じておりました。
「他宗教を容れるな」を守ったのではございましたが、親戚は親戚という関係を壊すのはおろかであります。
なにごともない素振りをしておりました。
フランス人が東洋人を差別しながら、一方では対等につきあう仕草のよーに。

親戚たちが散会した、客間に大の字になり、しばらく動けませんでした。
「よくぞ守った!」という先祖からのお褒めの言葉もございませんでした。