2023
06.27

遁甲カレンダーの在庫が切れていましたので、モリオカの帰りに、事務所に立ち寄り、大汗をかきつつ製本いたしました。
あとは茅ケ崎でゆっくりと…。

が、東海道線に乗ったところ、列車は品川で人身事故で立ち往生。
アナウンスは「復旧に1時間ほどかかる」とのこと。
どなたかが世をはかなんだのでありましょー。

乗客の皆様はわらわらと降りて行ったのであります。

車両には私メと、ほか一人が残されました。

こーいうときは黙って現状をキープしていることが正解だと、経験から学んでおります。
覚悟を決め、ほとんど無人の車内で、おもいっきり背もたれを倒して、「何もしない」体制に入りました。

CAさんが何度が「大丈夫ですか?」と見回りにきてくれましたが、お構いなくと目をつぶりつづけておりました。
人身事故は藤沢、辻堂間。
私メの降りる駅は、その先の茅ケ崎。
ということは、京浜東北線に乗り換えても、横須賀線に乗り換えても、たどり着けるのは大船まで。あるいは小田急に乗り換えても藤沢まで。茅ケ崎は、その向こうなのであります。唯一方法があるとすれば、八王子まで行き、そこから茅ケ崎行きの相模線を利用することですが、気が遠くなるほどの遠回りであります。
たとえ、そのルートを利用しても、おそらく何がしかのトラブルが待っていることになるのであります。

運が悪い時は、そういうもの。
何もしないのがイイのであります。
何もせず、こんがらがった不運の結び目が解けるのを待つしかございません。

一時間半後、東海道線は動き出しました。

どやどやと再び人々が乗り込んできたのでございます。

2023
06.26

まえに少しお話しましたが、四柱推命の付属講座を考えておりますです。
モリオカの仕事部屋で、時間を作りまして、その計画を練り上げたのでした。

十傳スクールでの四柱推命は、調候用神法を目指しております。
が、それではマスターするのに時間を要します。

ならば、
「受講した、その日から鑑定できるものを」
と考えたのであります。
いや、そのような内容をご希望の方々からのメールら刺激されたという方が正解でありましょう。

調候用神法で触れていなかった、
・空亡
・羊刃などの神煞。
・それに伴う変通星の基本的な解釈。
・大運、年運などの行運との絡み。
これらを、ひとつのカルテのようなものに記入し、事務的に判断していくというものであります。

もちろん調候用神法を踏まえての解釈であります。
仕上げの磨きこみには、やはり十干観法の調候用神法なのであります。

しかしながら、これらを知れば、四柱推命の全貌が見えてくるという利点がございます。

位置的には、初等科と接続科の中間ですが、スマホで命式を出せるなら、もう大丈夫なのであります。

やはり6回ではなく全12回は欲しいところであります。
老僕で講義の体力の方はいいのかと自問したら、ぎりぎりセーフですとのこと。

スタートするなら10月だよなぁ、とも上げれば雲間に半月が浮かんでいるのでありました。
詳しく決まりましたら、正式にご案内いたしますです。

六壬神課の資料もほとんど完成していますが、まずは四柱推命の講義を完成させた後になりそーであります。

2023
06.25

「他宗教を容れてはならない」
これがオノ家の家訓であり、「他宗教を入れた時、オノ家は滅ぶ」と祖母の書置きにもございます。
亡父は、その点が、甘い男でありまして、「固く考えなくてもイイではないか。趣味の一つなのだから」と、ついには滅びの道をたどったのであります。

が、宗教は一筋縄ではいかぬ厄介なモノでございまして、魂を侵食し、それがウィルスのよーに子供へと受け継がれる特徴がございます。

私メが15歳の時、母方の祖母に「東京見学に行ってみねっか?」と誘われ、祖母の信仰する新興宗教の青梅市にある道場に一週間ほど幽閉されたのであります。
肩に斜めに南無妙法蓮華経の文字が染め抜かれたタスキをかけられ、朝から晩まで勤行の明け暮れでした。
最終日には三百畳の大広間に一同が集められ、部長というオバさんに『親孝行』の大事さを説かれ、それから皆でトランス状態になるまで題目を唱え、すると周囲からすすり泣きとともに、
「お母さん、ごめんなさい」「ごめんなさい、お父さん!」
の懺悔の声、声、声、声。
まるで、落城寸前の天守閣で、家来一同がバタバタと自害して果てるよーな光景に似ているのでございました。

キョトンとする私メの前に、見回りの信者がきて、
「なぜ、あなたはお題目を唱えないのです?」
問い詰められ、「ボクは関係ありませんから」と答え、それでも見回り役が去らないので、「親の、子に対する恩はないのですか?」という意味を問い返した記憶がございます。

後年になり、ははーん、親孝行の美辞麗句の向こうには先祖供養があり、墓を作れとか、仏壇を買えという経営目的が存在するのだな、と宗教のカラクリがすっかり見えてしまったことでした。子に対する恩を説いても儲かりませんから。

いまでも老母は、この新興宗教から離れず、ひそかに経典や宗教新聞を隠し持っているのであります。私メが関東に行って不在の時、会員を迎え入れていることも、見張り番によってチェックいたしました。

亡父は、老母を愛していたのでございましょー。私メなら、そっこく離縁でございますが、しかし老母として付き合っているわけで、そこが忸怩たる複雑さでもあるのであります。

さて、本日、法事がらみで温泉に宿泊した何人か、オノ家に立ち寄ったのでありました。
二人ほど新興宗教の信者でございます。

この二人は仏間に通しませんでした。ギロリと老母に目玉を回しましたが、ボケ老人を演じておりました。
「他宗教を容れるな」を守ったのではございましたが、親戚は親戚という関係を壊すのはおろかであります。
なにごともない素振りをしておりました。
フランス人が東洋人を差別しながら、一方では対等につきあう仕草のよーに。

親戚たちが散会した、客間に大の字になり、しばらく動けませんでした。
「よくぞ守った!」という先祖からのお褒めの言葉もございませんでした。