09.10
14歳のとき、ちょうど九月でしたが、頭痛で寝込んでしまいまして、そのとき食べた葡萄の皮が、枕元で醗酵し、それでますます具合が悪くなったのでありました。
以後、葡萄を口にしたことはございませんでした。
が、昨年、お客様からいただいた葡萄を口にしたとき「なんと美味いのだろう!」とその美味に感動したのでございますです。
おもえば、ワインは浴びるほどのむのに、その元となる葡萄を食えないなんてヘンなのであります。
葡萄嫌いのオノということをウリにしていなかったとはいえないことに赤面いたしますです。
今年も葡萄をかいこみまして、芳醇なかおりとお味を堪能いたした次第であります。
葡萄は比喩かもしれませんです。
嫌いだ嫌いだと信じ、それを愚かしいアイディンティティとして持っていることはけっこうあるような気がいたします。
あの女は嫌いだ、あの女の声を聞いただけでハラワタが煮えくりかえる…とかであります。いや、ちょっと違いますですね。
今年も9月11日がやってくるのであります。
TVでは北海道4区から出てきた、朝鮮人帰化人のハチロとかいう民主党議員が伏死魔人を愚弄する発言をネタにハチの巣をつついた大騒ぎであります。帰化人であれば、それなりの苦労もしたに違いありません。
苦労をプラスにせず、復讐というマイナスとして心に育てている場合もよくある話でありますから、なんとも言えませぬ。
樺戸郡新十津川出身であるそうであります。
かつて樺戸集治監があり、明治時代に台風の被害のあった和歌山の十津川から移住してきた2500人がつくった町でありますです。
「許せぬ!」
とおもったら、勢いあまって葡萄のお汁がテーブルクロスに若者の射精のごとく飛んだのでありました。
なにが許せぬのか自分でもわかりませぬ。
嫌いだと思いこんでいることから解放され、乗り越えていくことも、ときには大切かもしれないのでありました。
震災の被災地の復興をネタにして、ひと儲けしようと、たくらんでいる人々も人間臭いといえば人間臭いのであります。
女子サッカーしかり、高校野球しかり、お笑いしかり、なんでもかんでもしかり。
「震災された人たちの励ましになればと…」
まるっきり嘘とは言えませんが、本当ですか?と放屁したい気持ちにさせられるのであります。
ジョンフォード監督「怒りの葡萄」をなんとなくおもいだしたのでありました。