2011
09.13

心は見えないのであります。
見ようとしても暗闇ばかりであります。見ようしないから闇ばかりなのかもしれません。

心は映しだされるものかもしれません。
画像のように、池の淀みにつかのま、空よりも青く映しだされるものかもしれません。

「どうして分かってくれないの」
と嘆くのですが、人は自分のよどみばかりを指差すばかりで、ちいさな青空を見てはくれないのであります。

人は自分より美しいモノを相手にみようとはしないのかもしれません。
映画や絵画や音楽には感動して落涙するというのに、自分の傍らで愛を奏でている相手の美しさをみようとはいたしません。

だから、
「やせたね、ちょっと最近」
と認めてくれる言葉に傾いてしまうのでしょう。

水面にうつる夏の終わりの空は、なんと美しいのでしょうか。
ほんとうの青空よりも美しいのであります。

そして、どらちも手には入らないものであります。

過ぎ去ってから、その美しさが分かるのであります。

消えてから、手遅れになってから、はじめて見ようとするのであります。

少年は鳥になれずに大人になる、という歌詞がございました。
人の心の青空をみようとするだけで、恋愛も運命も好転するということは誰にも分かっているはずであります。
それなのに見るのは泥沼ばかり。

人間はめしいなのでありましょうか。

私は加護亜依を考えているのでありました。