2022
01.28

滅びゆく占いに「六壬神課」がございます。

以前、「十二天祥星占い」というタイトルで、六壬神課の命理本を出しましたが、本来の六壬神課は卜易。
ようするに、その時の偶然性で占うものであります。
なかでも、鑑定する「時」に着目したのが、この占いなのであります。

どのよーに占うかと言いますと、
「恋愛の出会い、付き合い経過、そして結末」というように、過去・現在・未来の三つの柱を中心に判断することが特徴でございます。

面倒なのは、盤作り。720パターンの盤を必要とします。
が、このたび、その盤が完成いたしましたです。

ということは、その日のその時間の盤を開けばいいのですから、とても楽。
あとは解釈だけ覚えておけばいいのであります。

その解釈も、12支の生剋会合冲だけ覚えていればイイのであります。
さらに面白いのは、断易で用いる、兄弟、子孫、妻財、官鬼、父母の六親が登場し、加えて、貴人、螣蛇、朱雀、六合、勾陳、青龍、天空、白虎、太常、玄武、太陰、天后の「十二天将星」が絡み合って、詳しい状態までを判断することが出来るのであります。

私メは、六壬神課によって、断易の解釈を深めた経緯がございます。

断易で、兄弟に朱雀が付けば、お喋り、口舌によるトラブルとかの解釈をし、では、その朱雀が官鬼に付けば、税務署など書類の災いというように見ていくのであります。これは師である鷲尾先生からの学びでございますが、それだけでは不十分。

そこに六壬神課と出会いまして、断易の解釈に深みをつけることに成功いたしましたです。

さーて、そろそろ、初公開をしなければなりません。
スクール形式にするか、不定期のセミナーとして開催するかを考え中でございます。

なにしろ、「奇門遁甲実践科(中等科)」を今春に公開することにいたしましたし、断易初等科Cもございます。四柱推命初等科も続行しなければいけません。断易高等科もありまして、四柱推命卒論科もございます。

老僕にはそろそろキツくなっております。
「どーするべ」
思案中なのであります。

2022
01.27

思い出したくもない思い出は、どなたにもあると思いますです。
私メは、そのよーな過去の遺物を大きな木箱に入れ、物置の隅に安置しておりますです。
いつか処分しなければ、死んだときに、
「うへぇ!」
と笑われるだろうことは目に見えております。

それなのに踏ん切りがつかないのは、
「しょせんは、おめぇはこの程度よ」
自虐の快感に浸りたくなるからでありましょーか。

『独立自尊』
この額は、祖母が私メのために取り寄せたものでありました。
「部屋の長押に掛けよ」
とうぜん、ひとつも嬉しくありません。

これ以外にも『根性』の二文字の額もございます。

これらを見るにつけ、よほど私メの将来を心配してくれたのだと思いますです。
18歳になり京都に進学したとき、猛反対したのは祖母でありました。
「ぜって、はぁ、外国のオナゴか、髪っこ赤ぐしたオナゴば連れでくるに相違ねんでがんす」
反対の理由は、ただひとつ、コレでありました。

祖母は私メを医師にしたかったよーであります。
が、易者になり果てたのでございました。

最初の本を出した時、祖母はまだ健在で、私メはすこし得意になって、祖母に贈呈したしました。
翌日、「読ませで、はぁ、いただきました」と言い、つづけて、
「誰かの本を盗作したんでがすっぺ?」
驚くというより、あっけにとられるというより、いまだに信頼はまったくされていないのだと痛感した次第であります。

そして、しみじみ『独立自尊』の額を見下ろしていますです。

根性も、自尊もまだまだでありますが、「独立」だけは、なんとか保っているよーな気がいたします。

オショシイ思い出の一端をご披露したかったのでありますが、あまりにもオショシ過ぎて、「とてもとても」でございます。

2022
01.26

朝の散歩のコースを少し変え、丘の上の教会までのぼりました。
坂道は凍てつき、ところどころ滑って足をとられそうでありました。

教会は閉ざされておりました。
階段は積もった雪で、遮断されているのでありました。

信者ではありませんから、閉ざされていよーと関係はございません。

中国人がバラまいた新型肺炎が、変異し、モリオカもかつてないほどの感染者数をはじき出しております。そーいう情勢も、
「お祈りどころではない」
のであるよーで、人影の絶えた高台に、ただ風がときおり雪をのせて頬を叩くだけでございました。

TVの報道番組では、テキトーな方々が、テキトーな発言をしたりして一部の国民をいたずらに怯えさせ、扇動したりしておりますが、イイのでしょーか。闇雲にワクチンという毒を体内に入れても。
すでにワクチンの接種を済ませた方々は、
「イイのだ!」
さらには、
「愛する人を守るためなのだ」(ギャッ! 向こうはアイシテクレテナイゾ)
力説し、
「未接種の奴らはけしからんぞ。出ていけ!」(豪州ですね。ジョコビッチ頑張れ。)
もしも、数年して奇病という名の副作用に悩まされても、死なばもろとも的に、私メのよーな接種バージン組に殺意を持つかもしれませんですね。

まぁいいさ。
一回目のヤツはほとんど薄いヤツらしいので、大丈夫かもだとしても、
しかし、三回目以降の接種は、よほど考えた方が賢明でありましょー。
あれほど以前は、遺伝子組み換えの食物に恐怖を抱いていたではございませんか。その頃の時点に立ち戻り、冷静に選択する時が来ているなどと、絶望的に感じるのでございました。

そこのところの問題を、神様に訊きたいものでございました。
ご覧の通り、神々は「沈黙」でございます。

疫病など世間の騒ぎを無視し、疫病前のペースを守り、月に一度、モリオカに戻っている私メに、いまだ天罰のないところを見ますと、
「お前に答える答えはない」
と告げているのかもしれません。

そして、「疫病騒ぎのうちに、別の天災の鼓動に耳を澄ませ、食糧確保などの対策をとれよ」と、この沈黙は教えてくれているのかも知れないのでありました。

国民の八割超は接種済みらしいので、今回のブログは多勢に無勢。私メにとって自滅的な内容でしたかも。