2021
05.10

いつのことでしたか。

断易の師匠である鷲尾先生と忘年会だったかのあと雑談をしたことがございます。
ずいぶん前のことですから、いまでは街もすっかり様変わりしたことでしょうが、文化施設のような場所で、一階に食堂があり、その食堂をいつも利用していたのであります。
お銚子を求めるにも、いちいち食券を買わなければなりませんでした。
二千円ほどでたっぷり食えて酔えました。
貧乏な私メには助かりましたが、ほかの生徒さんたちは、
「もっとイイ場所があるのに…」
しかし、それが鷲尾先生のスタイルなのでありました。

鷲尾先生の鑑定料金は五万円。
「ひとふり五万円」
そのとき、変に鋭い目で私メに語ってくれたのであります。
神蓍をふって、一つの卦が五万円というわけであります。

「オノさんは何回振るの?」
「その時によりますが…」と口に出かけ、いやいや生意気なことは言ってはいけないと思いなおし、「三回ぐらい」と正直に答えました。一つの卦ではこころもとない気がしていたのです。
「ふーん」
それだけの会話であります。

何か月か後、用事があり鷲尾先生の事務所に出かけたことがあり、帰ろうとすると、
「オノさん、一杯、いかない?」
バリトン張りの声をかけてくれました。
また、商業施設かと思いましたが、違いました。

八丁堀は、銀座の裏手であります。
連れていかれたのは、築地と銀座がとなりあう大衆的なバーでありました。

鷲尾先生は常連らしく、店の人から「先生、おひさしぶり」などと挨拶を受け、一番奥のボックスに通されました。

しばらく雑談しておりましたら、若いアルバイトのホステスさんが、「占ってもらってイイですか?」。
先生は痩身で背が高く、額にかかる長髪をときどきかきあげるのが癖の雰囲気のある老人でしたから、とてもモテモテなのでした。
「おお、またいつだったかの彼氏?」
あいにく神蓍はなかったので、テーブルのグラスを脇に片付け、紙にマス目を私メに命じて書かせ、アルバイトの子に数字を埋めさせるヤリ方で、長髪をかきあげながら、すらすらと卦を立ていきました。

帰り道、先生が鑑定料を受け取らなかったことが気になっていたので、
「ひとふり5万円でしたよね」
すると、「いいの、いいの」とニヤニヤしていましたが、はたとあの灰色に光る眼を私メになげかけ、
「オノさんは、まだまだだね」
「?」

スケベだからお金を受け取らなかったのだな、私メは、単純にそのように解釈いたしました。
そして、そのままでした。

ひとふり五万円の言葉のほんとうの意味を納得したのは、それから七年も経ってからでありました。