2021
05.24

父方の祖母の夢を連続して見たお話は、先日のブログでUPいたしました。
「亡祖母は何を語ろうとしていたのか?」
ときおり思考していた疑問が、モリオカに来て、
「そうか!」
と解けました。

亡祖母は、自分の父や母の墓を参賀して貰いたかったのだな、そして偲んで貰いたかったのだな、と。

祖母の実家の名は「矢吹」。
前回も、前々回も探しきれませんでした。
墓探しの名人の老母のカンをもってしても、移した墓のありかはようとして見つからないのでした。

が、「今日こそは見つけるぞ!」と広大な墓所の前で闘志にも似た力が湧くのでありました。

おそらく…。
矢吹家としては、オノ家と縁を切りたいのであります。
だから尋ねても、墓の移設場所をはぐらかしていたのであります。

しかし、そーはいきませんです。
一族内乱の被害者として、矢吹家に温情を与えておりましが、私メにも「内緒にしよう」という腹が許せません。

探すこと二時間。
ついに見つけたのであります。

忠臣蔵でありましたら、こんなとき吉良上野介を発見したとして、
ビュー、ヒュー、
と呼び笛でも吹き鳴らすのでありましょう。
そんな気分でありました。

とおくから背のかがんだ老母が、生まれたばかりのカメが波打ち際に急ぐように、両手で空を掻くがごとくいざり寄り、
「あああああああっ~」
と隣の墓石に腰を抜かしました。

塔婆には、「令和二年五月二十四日」と記されております。
そして本日は、令和三年五月二十四日でございます。
ちょうど一年前の本日、墓を移した供養と年忌を執り行ったのでございましょう。
私メは呼ばれませんでした。

が、この日付の偶然は、まるで呼ばれたかのようなのであります。
ならば、幽霊でも出てきて手招きして教えてくれればよいものを。墓場を回りすぎてヘトヘトに疲れてしまったではありませんか。

そして、もちろん、夢に出てきた祖母からのお礼はあってしかるべき。

「執念だったねぇ」
帰路に老母が声をかけましたが、
「うるさい」
へんに不機嫌な私メでありました。