2021
05.20

手入れをしなくても花は咲く時が来れば咲くのであります。
手入れをしても咲かない花もございましょう。

庭は、いま春の花から夏の花へと移りながら、滅亡の時を教えてくれているよーな気がしないではありません。
都会から離れ、新聞もTVとも無縁の生活を送っておりますが、それでも世の不審な不協和音は感じ取ってしまうのであります。

古い本を読み、時代遅れの音楽にいにしえを懐かしみ、草刈をし、汗にまみれたシャツを洗濯をし、部屋にこもるだけの生活をはじめますと、世の中の普通であることの、じつは異常であることが見えてまいりますです。

すると大切なのは、モノを美味しく料理する方法と、お女性のオッパイの掌にずしりとくる充実した重さと、季節の花々の艶やかさであることであるかなと思ったりいたします。

さいわいなことに私メには親友という存在がいないことであります。
親しい友がいたならば、とても苦しい時代に突入していると痛感することでございましょう。
ですから、
「ああ、お女性との偽りの恋をしたい…」
だけを考えればイイのです。

夏は…いや、秋も冬も春も、偽りの恋ほど楽しゅうものはございません。

季節に対応しないマジ恋愛ほど嘘っぽいものはないからであります。

それは、一人の時間を自分で満喫できるからでもありましょう。
雑草どもを刈り取り、土を掘って砂を敷き詰め、あるいは漬物を漬けることに全神経をつかい、思い出したように仕事に精力を傾け、ふと、
「お女性の匂いに包まれたい」
この気持ちの切り替えには、偽りという条件が必要であります。

湖面に浮かぶ透き通った風景のように、さざ波が立てば消えるような純粋な嘘の恋。風が吹けば、忘れてしまえるような清らかな嘘の恋。

ハッと我にかえると、そこにお女性はおらず、水面に映る花に語りかけていたことに気づくよーな偽りの恋が待っているよーな錯覚を、夏という季節は運んでくるのであります。