2021
05.12

用事が出来てモリオカに戻りました。

駅からのタクシーで、
「あしたは小学校の運動会でやんしてな」
上田小学校の校庭に準備のクルマが乗り入れているのを見て、運転手さんが声をかけてきました。
「修学旅行も、東京だの、京都さ行ぐのは止めにして、隣の県にして、そごの高級ホテルに宿泊するよーですっけ」
よく喋るお方で、ふと助手席前にあるプレートに目をやりました。

裕彦さん?

記憶のなかを透明の糸が流れました。
「オノ君、さいきん、よぐモリオカさ戻ってるんだって?」

小学校の四才先輩の〇〇裕彦さんでした。子供会の同じ地区で、季節ごとの出し物を決めては積極的に場を盛り上げてくれる、やさしいお兄さんなのでした。
三年前に裕彦さんの母君が他界し、顔は出しませんでしたが、お悔やみを包んだものでした。

最初は私メだと気づかなかったけれど、行き先を聞いて「あれ?」と思い、ミラーで見て思い出したのだと裕彦さんは言うのでした。
「アレのためにご帰郷すか?」
「はい…裕彦さんは?」
「ちょこっと顔ば出しやんすがなって」

60年ぶりだというのに、昨日会ったばかりのような気さくさでありました。

「弟は来ねがんすよ、知ってますべっともが…」
すこし沈黙し、「清彦の野郎は別荘から出はられねんでますもんで」

清彦というのは彼の弟で、私メの二年先輩。別荘というのは刑務所のことでありました。
兄弟でも、こうも違うのかと思うくらい、清彦は小さな頃から危険なお方でありました。

この二人の兄弟の生年月日を、十傳スクールでの四柱推命卒論科で取り上げております。

実家には老母はおらず、書置きが残されておりました。
「先に行ってます」と。

私メも、いそいで喪服に着替えたのでありました。